インディゴ・チルドレンのリライのブログ

インディゴチルドレンで、サイキックです。見えた事や感じた事を気まぐれに綴っています。日記も頻繁に書いてます。龍やドラゴンが大好きです!

不登校について

 

学校行って辛いなら、行かなくて良いよ!

 

私は元不登校児でした。

小学生の時はぎりぎり苛めが合っても通えていたんだけど、中学生になった時に周囲のクラスメイトから無視されたり、担任に執拗に絡まれたりして、行けなくなっちゃった。

行かなければと思うのに朝になると熱が出たり、お腹が痛くなるのね。

一応外に出るけど行きたくなくて言い訳しては家に帰ったりしていたの。

母は焦って、送ってくれたりしたけど結局すぐ家に帰っていた。

行かないといけないと頭では分かっているのに、どうしても学校に行けないの。

担任は私に嫌がらせして楽しいのか!と言って怒鳴りに来たりした事もあったな~。

 

一度、どうしても嫌なら帰っても良いからという約束で学校に行ったらやはり気分が悪くなって帰ろうとしたら担任に怒鳴られてしまった事があった。

嘘つきだって泣けてきて保健室に逃げた。

それから先生が大嫌いになってそれきりクラスには行くことは無かった。

 

私の担任は女性だったんだけど変な先生でね。

新入生になって学校に通いだしてすぐの頃、やんちゃな子がいていつもふざけたように笑ってた。

ある日の授業中に、その子に対してプロレス技をかけ始めた。

掃除用具入れのロッカーに激しく何度もぶつけたり、首を絞める技をかけたり、いじめにしか思えなくて怖かった。

その子はへらへらいつものように笑ってたけど、強がってたと思う。

私はこの先生に強烈な恐怖を抱いたのを鮮明に覚えている。

 

お気に入りの子を贔屓してテストや内申の点数を良くしたり、気に入らない子には苛めまがいの事をしたりして問題の多い先生だったみたい。

結局、苦情が殺到してどこかに左遷されたらしいよ。

 

送って貰っても行けない時が多かった時に、母に行くか行かないのか決めなさいと言われたのね。

くそったれの父に行けとばかり言われていたし、出来損ないと言われたりしていて、母も同じ気持ちなのかもしれないと思っていたからびっくりしたけど、そう聞いてくれて本当に嬉しかった。

 

行かないと決めてから行かなくて良くなった。

不登校に理解のない時代でレッテルを張られるのも分かっていたけど、居場所があったから今も生きていられている。

あの時、行くように強制が続いていたら居場所も頼る所も無くて自殺していたかもしれないと思う。

まぁ、死ななかったのはクソみたいな奴がのうのうと生きているのに私が死ぬなんて間違っているという思いはあったからかもしれない。

 

母も手をこまねいていた訳ではなく、学校側に話したり、教育委員会にかけあったり、不登校児の親の集まりに顔を出してくれていた。

そして、学校の中のふれあい教室に行くようになって学校に行く事もたまにあったんだけどクラスには行かなかった。

ふれあい教室に行く時に校長先生にたまたまあった時にちょっと話した事を覚えている。

 

そうこうしている間に、父親の精神的な虐待や、暴行が酷くなっていき、私は死にたくてたまらなくなってしまった。

母親についに死んだら楽になるのかなぁと言うようになり、母は離婚してくれたんだ。

小さな妹もいて大変だったと思う。申し訳ないと思っていたわ。

 

一人語りで、何が言いたいのか分からなくなってしまった( ̄▽ ̄;)

 

結局、私の時は理解も無い時だったし、不登校児なんて落伍者でしかなかった。

今は理解がある方だし、選択肢も多い。

学校に行かないっていう選択もあるんだよ。

 

苛めにあったりで、辛くてたまらないなら、とにかく大人に相談して。

まず親に、学校の先生に、保健室の先生に、どこかの大人に。

両親に理解が無いなら、嫌かもしれないけど施設に行く道もあるからね。

転校する道もあるし、いかずにフリースクールという手もあるし。

スマホがあるなら、パソコンがあるなら生きる道を調べてみて。

必ず道はあるから、学校に行けない事で絶望しないで。

とにかく、簡単に死なないで。諦めないで下さい。

 

なんでも『生きてこそ』だからね。

なんでも死んだら終ってしまう。

今生きていて辛くても前を向いて生きていかなくては。

 

救いになるかわからないけど。。

あなたの傍に守ってくれている存在がいます。

目に見えないかもしれないけど、あなたを誰より見ていて見守ってくれている方です。

その方はあなたの全てを理解して、心を痛めています。

忘れないで!決してあなたは一人ではありません。